王子公園暮らし - a way of park -

「学術・文化」と「生活・暮らし」、
そして間をつなぐ「王子公園」

王子公園地域は、六甲山系の美しい山並みを背景に、都心に近く喧騒から遠い良好な住環境が広がる、人の暮らしが息づいた街です。
また、文化施設や教育施設、スポーツ施設が集積する学術・文化のまちとして発展を遂げ、神戸の文化活動の中心を担ってきました。

OJI PARK

学術・文化

王子公園がある一帯は、かつて「原田の森」と呼ばれ、明治中頃まで田畑が広がっていました。明治22年(1889)、W・R・ランバス氏が一万坪の校地を開き関西学院を開校。大正11年(1922)に建てられた中央講堂(現:神戸文学館)は建坪238坪、階上階下合わせて1600席の大建築で、ヘレンケラー・武者小路実篤・柳光悦ら数多くの有名人が講演に訪れました。
このように、原田の森一帯では講演会・音楽会といった文化・芸術イベントが盛んに開かれ、今なお文化活動の中心的役割を担っています。

学術・文化

王子公園・動物園

昭和4年(1929)には、関西学院が西宮上ヶ原へ移転。跡地は昭和15(1946)年に公園化する都市計画に組み込まれます。しかし、この一帯は戦禍が酷く、荒廃されたままになっていました。昭和25年(1950)、神戸市の復興と発展を願って、日本貿易産業博覧会(通称:神戸博)が開催。その後、神戸博跡地を王子公園とし、動物園が建設され、翌26年に開園します。次いで昭和31年(1956)には、兵庫国民体育大会開催に合わせて、陸上競技場・相撲場・バレーボールコート・テニスコート・弓道場といったスポーツ施設が次々と整備され、今の王子公園の姿になりました。

王子公園・動物園

生活・暮らし

王子公園の東側、10の商店街と市場が東西に細長く連なったエリアが「水道筋」です。これは愛称として親しまれた名であり、本来の名前は「市道坂口石屋川線」。大正時代、武庫川支流の千刈貯水池から神戸市内に水道が引かれた際に水道管が通され、その上にできた街であることから「水道筋」との名前がつき、以来街の名前となりました。 およそ80年もの歴史を持ち、500余の店が集まる神戸有数の商業地として発展してきた水道筋商店街。「老舗」や「レトロ」と声高に言わずとも、古い物がごく当たり前に大切にされる文化が残っており、訪れる人は「どこか懐かしい」と口にする、豊かな原風景が広がっています。

生活・暮らし 生活・暮らし
上記は街の歴史として埃を被った話ではありません。街を歩けば、今なおその息吹を感じることができ、歴史との接続点が見えてきます。街の随所に見られる「どこか懐かしい」風景は、あなたの中の豊かな原風景を呼び覚ましてくれることでしょう。